自民党衆議院議員で元総務大臣の寺田稔氏の妻の実家が凄すぎる家柄でした。
寺田氏の妻は総理大臣の孫。
さらに、父親は超エリートで父方の祖父も長者番付け7位の大富豪です。
今回は寺田議員のお嫁さんのお嬢様ぶりついて調べてみました。
目次
【顔画像】寺田稔の妻は総理大臣の孫!
寺田稔議員の妻は「寺田慶子」さんといいます。
寺田聡議員の妻・慶子さんのプロフィールや主は家族はこちら。
- 名前:寺田慶子(旧姓:近藤)
- 生年月日:不明
- 結婚した年:1988年1月22日
- 父親:近藤荒一郎(近藤商事社長、日本タイプライター株式会社の代表取締役)
- 母親:近藤直子(旧姓:池田直子)
- 父方の祖父:近藤荒樹(近藤商事会長)
- 母方の祖父:池田勇人(大蔵官僚・内閣総理大臣(第58・59・60代))
慶子夫人は、池田勇人(いけだ はやと)元首相のお孫さんです。
池田勇人は1960年から1964年の長期に渡って総理大臣を務めました。
所得倍増計画をリードし、戦後日本の高度経済成長の進展に大きく貢献。
この働きと成果は「戦後日本の奇跡」と言われています。
こちらの動画サイトでは、1963年、当時首相の池田勇人が所得倍増計画について演説している様子が掲載されています。
寺田稔の嫁は父方祖父も大富豪の超お嬢様だった!
寺田稔の嫁の父方祖父:近藤荒樹
寺田稔議員の嫁・慶子さんの祖父は近藤荒樹(こんどうあらき)さんです。
今の一橋大学を卒業後、大正2年に三菱合資(今の三菱グループ)に入社。
9年で退社し、退職金6000円を元手に近藤荒樹営業所を開設。
金融業、不動産業、株式投資を行うようになりました。
大正12年の阪神大震災後に東京近郊の土地を坪3~4円で50万坪買い集め、昭和初期に10倍の値段で売上げ「土地成金」とはやされたとか。
終戦後は金融会社「近藤商事」を創立し、巨万の富を築きました。
1957年(昭和32年)の長者番付けで7位になり、「丸ビル将軍」と呼ばれたそうです。
また、68歳の時には元宮内庁掌典長の元伯爵・甘露寺受長の娘の績子(50歳)と再婚しています。
寺田稔の嫁の父親:近藤荒一郎
【顔画像】
妻・慶子さんの父親は近藤荒一郎さんです。
父・荒一郎さんもかなりのエリート。
荒一郎さんは、祖父・荒樹さんと同じ東京商大(今の一橋大学)出身だそう。
そして、大学卒業後はアメリカの大学へ留学。
その後、アメリカのチェースマンハッタン銀行に入ったそう。
帰国後は、当時衆議院議員だった池田勇人の秘書を務めます。
それが縁で、池田勇人の長女・直子さんと結婚しました。
寺田稔と嫁の子供は娘が2人!
寺田稔議員の家族構成は次の通り。
- 妻:寺田慶子
- 長女
- 次女
寺田稔と妻・慶子の馴れ初めは?
寺田議員と嫁・慶子さんの馴れ初めは記載がなく、詳しいことは分かりませんでした。
寺田氏と慶子夫人が結婚したのは、1988年1月22日。
寺田氏が30歳になる2日前の29歳の時。
寺田氏が1990年に大蔵省に入省して8年目の時でした。
寺田氏は、2017年1月22日の自身のツイッターで「今日は我が家の29回目の結婚記念日です」と記載しています。
親族の結婚式に出席しました。若き二人の幸せを心よりお祈ります。素晴らしい仲間に囲まれ心あたたまる披露宴でした。今日は我が家の29回目の結婚記念日です。29年前の結婚式に昨日の新郎は一歳の誕生日でしたね。月日の経つのは早いもので。応援してくださる皆様に、心より感謝致します。 pic.twitter.com/KKeFzm2LUK
— 寺田 稔(広島5区(新:4区)・衆議院議員) (@terada124) January 22, 2017
寺田稔と嫁・慶子の子供は娘が2人!
寺田氏は、2012年3月3日のツイッターで娘が2人居ることを記載しています。
今日3月3日は、ひな祭りですね。桃の節句で、女の子の健やかな成長を願ってお祝いする日です。うちにも娘が2人いますので、雛人形を飾ったりします。また、語呂合わせから、耳の日でもあります。寒い時季には、風邪を引いて、中耳炎などになる事もありますので、ご注意して下さい。
— 寺田 稔(広島5区(新:4区)・衆議院議員) (@terada124) March 3, 2012
2012年は、娘さんは大きくて23歳くらい。
娘さんのために自宅に雛人形を飾っているので、当時は長女、次女共に独身で実家ぐらしだったようですね。
なので、2023年現在の娘さんの年齢は20代後半~30代前半と思われます。
まとめ
- 寺田稔の妻は総理大臣の孫!
- 寺田稔の嫁の父方祖父も大富豪の超お嬢様!
- 寺田稔と嫁の子供は娘が2人!
以上をまとめました。