2024年10月1日、石破内閣の内閣官房副長官に就任した佐藤文俊(さとう ふみとし)氏。
佐藤氏は旧自治省出身の元総務事務次官です。
佐藤氏の役割は内閣官房長官・林芳正氏の事務的な補佐だそう。
佐藤氏は東大法学部出身の超エリートです。
幼い頃からの夢を叶えて政治家になった、と思われがち。
しかし、佐藤氏の子供のころからの夢は政治家ではなかったそう。
そして、大学を出て40年以上たった今でも自分の選んだ進路に悔いがあるとか。
佐藤氏の本当の夢はなんだったのでしょうか?
佐藤ふみとし内閣官房副長官の学歴・経歴まとめ!
佐藤文俊内閣官房副長官の学歴は?
佐藤文俊内閣官房副長官の学歴は次の通り。
- 中学校:福島県内の中学校
- 高校:福島県立福島高等学校
- 大学:東京大学法学部第2類卒業(偏差値67.5~72.5)
佐藤文俊元総務事務次官は子供時代から学年一位の優等生!
佐藤氏は子供のころから勉強はよく出来たそう。
昔から勉強はよくできた。
ずっと学年で1番で2番以下に落ちたのは数回だった。
勉強が苦にならず、数時間集中できた。
失敗談は無く、いわゆる優等生だった。
佐藤ふみとし元総務事務次官の中学校:福島県内の中学校
佐藤氏は生まれは秋田県だそう。
そして、小学6年生の時に父親の転勤で福島県に引っ越しました。
中学では生物学部に入部。
部活では地元福島県の信夫山で植生調査をしていたそう。
植生調査とは、植生状況を把握することで環境保全を進めることが目的だそう。
中学時代は部活動に没頭されていたのですね。
佐藤文俊内閣官房副長官の高校:福島県立福島高等学校
佐藤氏は高校は地元の県立高校に進学。
勉強が良くできていた佐藤氏。
高校でも学年1位を保持していたようです。
佐藤氏は高校では将来のことを考えて文系を選んだそう。
佐藤文俊元総務事務次官の大学:東京大学法学部第2類卒業
文系の道を選んだ佐藤氏は、東大法学部へ進学しました。
佐藤氏は、大学4年で司法試験を合格したそう。
司法試験は法学部を卒業後、2年間法科大学院で学ばないと受験資格がありません。
しかし、法科大学院修了者と同等の学識や実務の基礎的素養を有していれば、大学4年生で司法試験が受けられるそう。
ちなみに、大学在学中に司法試験を受けられる確率は、令和5年度は3.58%だったそう。
佐藤氏は、非常に難関な試験を突破して最短ルートで司法試験を突破したようです。
佐藤文俊内閣官房副長官の経歴は?
佐藤氏は大学卒業後は日本の行政機関である「自治省(現在の総務省)」へ入省。
事務方として様々な役職を務められました。
佐藤氏の主な経歴は次の通り。
- 2011年~:総務省政策統括官(情報通信担当)
- 2012年~:総務省自治財政局長
- 2015年~: 総務審議官(自治行政担当)
- 2016年~総務事務次官
- 2024年~ 内閣官房副長官(事務担当)
内閣人事局長
内閣感染症危機管理監
総務事務次官時代は、当時の総務大臣・高市早苗氏の代わりに代読することもあったそう。
佐藤文俊内閣官房副長官の若い頃の夢は政治家ではなく選択に後悔も?
佐藤文俊は子供時代に地元で苦労していた?
佐藤氏が中高時代は勉学に励んだ理由は、「早く違う世界に行きたかったから」だったそう。
佐藤氏は秋田県で生まれ、父親の転勤で福島へ来ました。
その時の福島での印象を次のように語っています。
福島の県民性は「東北気質が強く、口べたの中に頑固さも秘めた性格で、情にも熱く、マジメな性格をしている」のが特徴とか。
子供時代の佐藤氏にとって、情の熱い世界は少々窮屈に感じたのかもしれませんね。
佐藤文俊は夢をあきらめてせ政界へ入った?
佐藤文俊内閣官房副長官の若い頃の夢は生物学者だった!
中学時代、佐藤氏は生物学者になりたかったそう。
しかし、生物学者になれるかどうか自信が無かったようです。
佐藤氏は東大法学部に進学した理由について次のように述べています。
佐藤氏は、東大法学部を出ると、法曹会も公務員も会社にも入れると考えたそう。
将来の選択肢が多くなる道をとったのですね。
佐藤文俊内閣官房副長官は若い頃の進路選択に後悔している?
佐藤氏は2017年のインタビューで自分の進路選択に悔いがあることを語っています。
学年1位の優等生から東大へ入学し最短ルートで司法試験に合格し日本の行政機関に就職。
とんとん拍子で人生を歩んできたように見えますが、それぞれに悩みがあるのですね。
佐藤氏は、若い世代に向けて「進路は自分の好きなことをやるべき」と訴えています。
まとめ
- 佐藤文俊の学歴経歴まとめ!
- 佐藤文俊の若い頃の夢は政治家ではなく選択に後悔も?
以上をまとめました。
一番好きな生物学者の道を選ばずに事務職の道へ進んだ佐藤氏。
自分の本当の夢より選択肢の多い道を選ぶことは多くの人にあると思います。
40年以上前の進路選択に悔いが残っているという所に親近感を覚えました。
とはいえ、佐藤氏は自分が進んできた次官・自治会長などの仕事はやりがいがあり非常におもしろかったとも言われていました。
自分が置かれた場所でしっかり花を咲かせてきたのですね。