自民党衆議院議員の寺田稔氏は、岸田内閣の元総務大臣です。
2022年8月に総務大臣に就任しましたが、不祥事の報道がきっかけで同年11月に辞任しています。
そんな寺田氏の実家は、祖父・父親が2代会社社長の家柄。
寺田氏の祖父は会社の創業者です。
そして、現在は、総資産が180億超えの有名ボールメーカーとして成長しています。
目次
【寺田稔の実家】祖父・父は2代で会社社長!
寺田稔氏の実家の家族構成は次の通り。
- 祖父:寺田 豊(広島県議・広島市議・議長・明星ゴム工業元会長)
- 父親:寺田 宏(寺田不動産社長・明星ゴム工業元代表取締役)
- 母親:寺田 菊子(2020年3月10日死去・享年91歳)
※「明星ゴム」は、有名ボールメーカー「ミカサ」の前身の会社名です。
それでは、ひとりずつ見ていきましょう。
寺田稔の祖父は有名ボールメーカー「ミカサ」の創業者!
寺田氏の祖父は寺田豊さんといいます。
祖父・豊さんは広島県にある有名ボールメーカー「ミカサ」の前身「明星ゴム工業」の創業者です。
『MIKASA』のブランドで知られ、水球やサッカーボール、ハンドボール、バスケットボールなどを開発しています。
寺田稔の祖父も政治家!
寺田氏の祖父・豊さんも政治家でした。
祖父・豊さんは、広島県議、広島市議を歴任。
昭和22年5月30日より第31代広島市議会議長に就任しています。
寺田稔の祖父・豊の功績が凄い
広島平和祭へのメッセージをマッカーサーに要請していた
祖父・豊さんは、原爆投下から2年後の昭和22年に発足した広島平和祭協会の副会長に就任。
同年7月には譲許してマッカーサーに広島平和祭へのメッセージを要請。
マッカーサーが、日本の地方行事にメッセージを寄せることは、極めて異例のことだったそうです。
平和祭で平和の樹「クスノキ」を植樹していた
祖父・豊さんは広島市議会議長として昭和22年の第1回広島平和祭で平和の樹として選ばれたクスノキを植樹したそう。
祖父・豊さんは昭和20年8月に原爆で被災しています。
そして、当時広島市にあった「明星ゴム工業」も原爆で全焼したそう。
そのため、平和への想いはとても強かったと思われます。
寺田稔の父親は有名スポーツメーカー「ミカサ」の元社長!
寺田氏の父親・宏さんは、「ミカサ」の前身「明星ゴム工業」の元社長です。
また、不動産業を手掛け「寺田不動産」の社長をされています。
寺田稔の母親・菊子
寺田氏の母親・菊子さんは、元阪神電気鉄道社長・元阪神タイガースオーナーの田中隆造さんの孫と言われています。
しかし、こちらは同姓同名の別人という噂もあり、はっきりしたことは分かりません。
寺田稔の実家は資産180億超えの有名ボールメーカーだった!
株式会社 ミカサ は、広島県広島市安佐北区に本社を置く、主にゴム製品を製造するメーカー。
1917年に広島で創業した「増田ゴム工業所」を前身としています。
そして、1950年に社名を明星ゴム工業に変更しました。
1928年に空気注入式ドッジボールを開発。
そして、戦後全国の小学校に広がったそう。
また、1960年代に開発されたバレーボールは多くの五輪で採用されるように。
そして、「明星ゴム工業」は2001年に社名を「ミカサ」に変更。
『MIKASA』のブランドで知られ、水球やサッカーボール、ハンドボール、バスケットボールなども開発。
やがて、総資産が約183億6500万円の大企業になりました。
まとめ
- 寺田稔の祖父・父親は2代で会社社長だった!
- 寺田稔の実家は資産180億超えの有名スポーツメーカー「ミカサ」の経営者だった!
- 寺田稔の母親は元阪神電気鉄道社長・元阪神タイガースオーナーの田中隆造さんの孫と言われている。
以上をまとめました。